釜石市市役所職員時代は福祉事務所、消防長、教育委員会等を経験しました。在宅健康管システムうららは福祉事務所時代から関わり、釜石市役所と釜石市医師会の連携を行っていました。
平成23年3月末に東日本大震災がなければ釜石市役所を定年退職でした。しかし、被災により、同年4月末まで定年を延長し、教育次長で行政マンとしてのキャリアを終えました。以降は現職に至っています。
釜石市はこれまでも戦争や自然災害により多大なる被害を受け、その都度、絶望の淵から立ち上がってきたという歴史を持っています。高度経済成長と人口増加、その後に襲った鉄鋼不況による人口減少と高齢化など、日本の近未来を他の自治体に先がけ表している地域が「かまいし」と考えられます。
意外なことに戦前戦後を通じて釜石市の土着人口の割合は3割ぐらいで、その外は他の地域からの交流人口がベースでまちづくりが成り立っていました。
つまり地方から東京に人口流入が続く、首都圏の状況と同様の環境といえます。「希望学」を提唱する玄田有史東京大学教授は釜石市を「日本の縮図」と表現しています。この交流には様々な分野の研究者も含まれています。今回、日本遠隔医療学会・在宅見守り支援分科会の研究者たちと一緒に被災地の見守りを行うこともこのような歴史的な背景が関係していると考えられます。
さて、東日本大震災以降、当施設は社会保障制度改革の荒波に見舞われ、それにより「看護師と介護士」の人材不足に見舞われております。このページを見ていただきましたみなさんのお知恵をいただければと考えます。当施設で一緒に日本の近未来を切り開くという気概をもつかたからの就職希望など多様な情報提供を期待しております。
あいぜんの里 http://aizen-iwate.jp/